嘉永6年になにが!?これがなければ、日本のバー文化は無かったかもしれない!/ご存知!御伽棋王子

 ご存知!御伽棋 王子でございます!

 今回は、日本の歴史についてお話したいと思います。

 今では、誰もが知っているウィスキー。

 誰が最初に飲んだのか気になりますよね?

(あら…そうでもない?)

(王子はめちゃくちゃ気になります!)
 
 徳川家の将軍でしょうか?

(ペリーが幕府に乗り込んで…)

 実は、日本人で初めてウイスキーを飲んだのは、ペリー来航時に浦賀で交渉にあたっていた、当時の与力と通訳だったそうです。

 与力(よりき)とは、江戸幕府における代表的な職名。

 備(そなえ)などを編成するため、江戸時代以前には、足軽大将(足軽組頭)などの中級武士が大身の武士の指揮下に入る事を意味する語句としても用いられていたみたいですね。

 ペリーが黒船四隻で江戸湾に姿を現したのは嘉永6年、1853年7月のことで、幕府に開港を迫るのが目的でした。

(龍馬伝で香川照之さんがナレーションしてたから覚えてる!)

(嘉永六年…ペリーが浦賀に来たぜよ…)(笑)

 見たこともない、蒸気船(黒船)を見たり初めて西欧人が日本に来た!と江戸中大騒ぎだったようです。

 「泰平の眠りをさます上喜撰たった四盃で夜も寝られず」という有名な狂歌があります。

 これほど人々が右往左往したのは、この艦隊が浦賀という江戸にほど近い場所に姿を見せ、江戸の町を砲撃するという噂が広まったからです。

 町にはこの異国船到来を告げる多種多様の瓦(かわら)版(読売)があふれたと言われています。

 そして幕府は、浦賀に回航するように説得。

 ここで外交交渉にあたったのが、浦賀奉行の家来だった与力と通訳でした。

 小舟で旗艦サスケハナ号に乗り込んだ与力一行は、そこで西洋の料理やお酒でもてなされました。

 特に初めて飲むウィスキーをめちゃくちゃ気に入ったようです。

 当時のペリー側の記録には、日本人にはジョン・バーリーコーンが、ことのほかよく効くと書かれているそうです。

 ジョン・バーリーコーンというのは、大麦を原料としたウィスキーの愛称、イングランド民謡で、西欧ではよく使われる言葉みたいです。

 (酔って千鳥足で船から降りてくる役人の顔が目に浮かびますね)

 ペリーが来なければ日本にウィスキーの文化は無かったでしょうし、今のウィスキーブームなんてなかったかもしれませんね。

 その後の日本の動乱や、戦争などを考えると一概には喜べませんが…

 いかがでしたでしょうか?

 今回は、日本で初めてウィスキーを飲んだ人の歴史についてお話しました。

 これを見て、少しでもウィスキーに興味を持っていただけたら幸いです。

 次回も、琥珀色の兎があなたの特別な物語を紡ぎます。

 では、また。